あの人はきっちりした人だ、というのと、真面目な人だというのは大きく違うのではないかという仮説。さて、だらだら書いてみる。
知人に、ものすごく追い込まれやすい人がいる。
周りはそれを見て、「Aちゃんはまじめだから、追い込まれちゃうよね」みたいなことを言うが、ずぼらな私から見たら、まじめなのではなくて、きっちりなのではないかと思う。
きっちり揃っていないと、マニュアルがきっちりしていないと、みんながきっちり揃っていないと、追い込まれてパニックになる。イレギュラーなことが起きるとパニック、放棄してしまう。怒りだしてしまう。または、逃げてしまう。
「私はきっちりとした性格なので、周りの人にもきっちりしてもらわないとパニックになっちゃうのでよろしくね」と言ってもらえればこちらもきっちりしようと努力はするが、真面目なの。で、一言片付けられてしまうと、「へえそうなんだ、で?」となってしまう。
私から見た真面目の定義は、どんなことが起きても真剣に考え、対応することだと思っているから、自分の周りの人と自分の「真面目」の定義が違いすぎて、真面目に議論することもおかしいことなのかも知れない。
が、「Aちゃんは真面目だから」「えむちゃんは真面目じゃないから」という定義がないままでの対立軸を作るのは本当に止めて欲しいと思うのである。

